振り返る、利府町1000年の歴史とは。
利府町にある最古の建造物、
それがこの八幡神社である。



私もびっくりしましたよ。
ここ最近過去の文献を
読み漁っておりますが、
なんと…
この八幡神社が利府町最古の
建造物であったなど。

「利府町誌・村誌 」
過去の文献から読み解く
これまでの利府の姿。

建立のきっかけは平安時代の震災。

八幡神社
建立されたきっかけは…。
平安時代に起きた貞観地震である。
時は、貞観11年の陸奥国 (869年)
陸奥国(現在の多賀城市)に大地震あり、人々は叫び、倒れた人は起き上がることができない。家が崩れ圧死したもの、地滑りや地割れで生き埋めになったもの。その被害の多さは数えることができないほど。荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたくまに城下を襲う。野も道もすべて水の中。船で逃げることも、山に登ることもできない。溺死したものは一千人…。この時の津波は、海水によって運ばれた泥の堆積物調査から、少なくとも3~4キロは内陸に達したといわれている。東日本大震災では、仙台市で海岸から約5キロほど津波が浸水しており、2つの災害がほぼ同規模であるのは間違いないと言われております。
この貞観地震による津波で、
多賀城の八幡町にあった神社が被災。
その神社の御神体が利府に流れ着き、
利府に八幡神社が作られたと。






泥八幡 と 流八幡とは。
かつて、この御神体は
隣町の多賀城市にありました。
大津波により流されてきたため。
多賀城の老年配の人々は
この宮を
「泥八幡」と話す、
一方で利府の人々は
「流八幡」と話す。


利府の人々は
流八幡様をしたって神社を再建。
利府町 町加瀬八幡町の大昔の人々はこの流八幡様をしたって、貞観11年の大地震と大津波以来、今の多賀城なる八幡の地移動してきたと故老が言われていた。「流八幡」はこれで立派に郷土民を守ってくれている。ただ現在は大昔に救い申し上げた御神体はいつの頃からか見当たらない…。それで神の宮居として立派に造営したのは、文化11年(1814年)に佐々木春泰(仁右衛門)が仙台藩の当局に願って修造したことが、郡誌によってもわかるのである。
抄 「佐々木 春泰」の文中
郷に八幡巷あり、旧八幡祠あり
土地の神たり、年久しく
名存して、実は廃す。
文化11年
官に請うて其の詞を修造す。
文化11年(1814年) 8月に八幡神社を再建した。
伝統を守り続けるということ。
この八幡神社。
利府町 町加瀬地区にあるのですが…。
毎年、春・秋に
八幡神社のお祭りがありまして、
「旗揚げ」を行います!!
(普段この旗は立っておりません。)

この様に年に2回、
装飾を施し。

この様な外観が。

この様に!!
引き続き。
この地区に住む者として
伝統を守りつつ。
そして歴史を掘り下げ、
沢山の方々に伝え続けます…。


出典、利府町誌・村誌、つみきのキモチVol.7
(吹き出し文章はフィクションです。笑)
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