パイオニア精神溢れる、日野藤吉氏とは?
利府梨先覚者:日野藤吉氏
利府梨栽培開始年:明治17年 (1884)

日野藤吉翁頌徳碑 | 利府第2公園にて撮影 2019.8月
利府初めての梨は真鍮梨
初めて利府町に持ち込まれた梨は真鍮梨という品種、栽培されたのは今から約100年前の明治17年に利府町 森郷仲町の日野藤吉氏が2反歩の水田を畑に転換し、150本の苗木を植えたのが最初である。
藤吉氏は大正14年8月、77歳で他界されたが最初に栽培を試みられたのはパイオニア精神の最も旺盛な33歳の壮年時代でありました。




真鍮梨 (しんちゅうなし)
この木は明治17年に
植えられた苗木の一つです。


米作りから梨作りへと…
ここで疑問…。
今から135年前、
日野藤吉氏はなぜ梨作りを始めたのか?
藤吉氏はとても釣りが好きだったそう、米があまり実らなかった不作の年、藤吉氏が石巻に釣りに行った時の事、たわわに実った梨畑の梨を見て…米が取れなくても梨は実る事にびっくりし利府でも梨を植える事は出来ないだろうかと考えたそう。


梨物語は135年前まで遡る…
それまで利府の農業は、米作りに頼っていました。米作りでは、日照りや雨や低温による不作があり、農家の生活は楽ではありませんでした。梨は、収穫が米ほど天候に左右されず、また売れれば現金がすぐに手に入ります。藤吉氏はそこに目をつけたのでした。


そのマインドは後世へと。
5年経ち、10年経ち、藤吉氏が植えた木は大きく育ち、たわわに実った梨はよく売れるようになりました。藤吉氏の成功を見て村の人々も梨作りを始めたそうです。40年以上も梨を育てた藤吉氏は76歳でその生涯を閉じました。その後、梨作りを引き継いだ人たちにも苦労が訪れます。戦争で国は荒れ、多くの人たちが食べ物に困るようになりました…。
戦争は終わりましたが食べ物は足りない。食べ物をたくさん作り、梨作りを守るために梨の畑は利府町の東側のやや高い土地を切り開き栽培される事になったのです。



出典 | 利府町誌.わたしたちの利府町
(吹き出し文章はフィクションです。笑)
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